うんちぶりガブリアス

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うんちぶりガブリアス

ガイジの備忘録的な何か

ふぁぼサイクル役割論理

「情けは人の為ならず」という諺をご存知でしょうか。

 

僕は以前これを誤解していましたが本来の意味は

 

「情けは他人の為ではなく、巡り巡って自分のところに返ってくる(から親切にした方がいい)」

 

だそうです。

 

ギブアンドテイクというよりむしろギブアンドビーギブンの精神が大事だということですね。

 

それを知った僕は己の浅学非才を恥じると同時に、

「情けは我の為なり」だったら誤解が生まれず良いのに

と憤慨(と言うより逆ギレ)したものです。

 

それはさておきとても素敵な諺だと思います。

座右の銘にしたいですね。

 


さてここで本題に入らせて頂きますが

 

ツイッターにおけるふぁぼ

 

について僕なりの考えを綴っていきたいと思います。

 

先ず、ふぁぼというのは、皆さん御存知の通り

ツイート本文下のハート型のボタンを押す行為

のことを指します。

 

そしてふぁぼをするとツイートをした本人に通知され♥の右側にされた数がカウントされます。

 

このとき、ふぁぼをする際に明確なルールは設けられておらず

誰でも自由にふぁぼすることができます。

 

暗黙のルールがあるのかもわかりませんが、

こういった自由奔放でいられる点が、良いか悪いかは別にして

現実との違いでありSNSの存在理由だと僕は思います。

 

 

では、そのSNSであるTwitterにおけるふぁぼの存在理由、役割は何でしょう。

僕は大きく2つあると考えています。

 

 

1つは「ツイートを循環させること」です。

 

ツイートは個人が主体となってされるのだから循環するわけないだろう

と思う方も多くおられるでしょう。

 

しかし、思いの外主体的にツイートをするというのは難しく、

恐らく殆どの人にとってふぁぼの数は

ツイートするモチベーションに影響するのではないでしょうか。

 

ふぁぼが来ると嬉しくなり、更なるふぁぼを求めて次のツイートを考える。

そしてふぁぼが増えるとツイートも増える。

 

こういったツイートの循環がふぁぼによって起きていると言えます。

まるで麻薬みたいですね。

 

また、そのツイートをふぁぼるのではなく来たるべき未来のツイートをふぁぼる

といった投資のような考え方もできると思います。

 


もうひとつは「ツイートを面白くすること」です。

 

一見意味不明ですが、以下の様な経験はありませんか。

 

彡(゚)(゚)「なんやこのアニメおもろいやんけ!ネットでの評価みたろ!」

ネット「つまらない」「時間返せ」「雰囲気だけの糞アニメ」

彡(゚)(゚)「よく考えたらやっぱり糞やなこのアニメ」

 

僕はこのようなことが多々あります。

流されやすい質といえばそれまでですが、

 

つまらないツイートをつまらないツイートたらしめるのはふぁぼの少なさであり、逆もまた然りである

 

これはある一面での真理ではないでしょうか。

 


このように、ふぁぼはツイートに大きな影響をもたらすことがわかります。

そこで最初の諺の話に戻りますが

 

「情けは人の為ならず」

情けは他人の為ではなく、巡り巡って自分のところに返ってくる(から親切にした方がいい)

という意味でしたね。

 

そして、これの情けというのはツイッターにおけるふぁぼに置き換えることができるのではないでしょうか。

すると、「ふぁぼは巡り巡って自分のところへ帰ってくる」と言えます。


最後に、以上のの事柄をまとめると、

「人のツイートをふぁぼることによって、自分のツイートを循環させ、それを見た人は面白いと思う」


これが僕の提唱するふぁぼサイクル役割論理です。

風が吹けば桶屋が儲かるみたいですね。

まさしくトンデモ論理ですが、騙されたと思って、今日から僕のツイートをふぁぼりましょう。

 

僕はふぁぼりませんが。

 

乱文にて冗漫なふぁぼ乞食でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。